私が全時間訓練に参加する願いを持ったきっかけは、大きく二つあります。一つ目に正常な召会生活を建てあげたいという願いから、二つ目に訓練生の模範を見て後押しをされたからです。
まず、訓練を意識するようになったのは大学三年生の終わり頃です。それまで私は就職活動を始めようと準備しており、自分の人生の目標やゴールについて考えていました。同時に、今までの召会生活において幾度となく「神の器となるためにひとは造られた」と聞いてきたため、自分の人生の目標やゴールは「神を表現する者となる」ということが頭の片隅にありました。そこで、このような目標に対して、私はどのような過程を歩んでいけばいいのだろうか、このまま就職してきちんと召会生活を送っていけるのだろうか、と考えました。なぜなら、それまでの私の召会生活は、毎日朝ごとや書物にあずかっていたわけではなく、真理やビジョンをみることにも欠けていると感じていたからです。そのとき、「訓練は正常なクリスチャン生活を建てあげるのに、最もふさわしい場所である」と訓練のトレーナーの兄弟が言っていたことをふと思い出しました。私は就職する前に訓練にあずかることで、訓練卒業後も正常な召会生活の中へと入り込み、土台付けられたいと願わされ、訓練に参加する願いを持ちました。
ただ、願いを持ったものの、様々なことに思い惑わされ、素直に訓練にささげる勇気がなかなか出ないままでいました。
そのような時に、訓練生の姉妹たちと交わりを持てたことを感謝します!
そこで姉妹たちはやはり大学卒業後そのまま訓練に行くことを進めてくれましたが、私はなによりも姉妹たちの話すその姿に心を打たれました。姉妹たちは、訓練の豊かさについてキラキラと輝いた目で語ってくれたのです。それまでにも、その姉妹たちとは毎週主日の集会で顔を合わせてきており、そのたびに姉妹たちがさらに主を得ている姿を目にしてきました。神を現わし出す訓練生の模範をみて憧れを抱き、この道を選んでも間違いはないという確信を得て、進んで訓練に参加する決意をすることができました。
第二コリント人への手紙4:7
「しかし、わたしたちはこの宝を土の器の中に持っています.それは、この卓越した力が神のものであって、わたしたちからではないことが現れるためです。」
17期生 O姉妹